Small dreams≧Real life

ルポライターを目指し日々奮闘中。日常の些細な事も含めて、オリジナル記事や創作したストーリーを載せています。

「人口が減り、教育レベルが落ち、仕事がなくなる日本 これから確実に起こる未来の歩き方」

はじめに

最近、ふと感じていることは高齢者が増えたなあという現実です。街中を歩いていても、子供よりも、圧倒的に高齢者が多いんです。そこで、人口問題に関する本を読む機会が増えました。メディアやネットなどで、事実ではない情報に受動的に流されるよりは自分自身であれこれ調べて、考えることが大切ですよね。

 今回読んだ本です

 

いわば、未来予想図に近いのかもしれません。

(ドリカムの方じゃありませんので、ご注意を(笑))

さて人口問題については人によりけりで、悲観論も楽観論もありますが、この本は悲観的な見方に重きを置いています。

その中で、シンガポール初代首相リー・クアンユー、アメリカの冒険投資家ジム・ロジャーズは人口減少に対しては危機的な見方を採り、言葉を残しています。

ぼくも、個人的には悲観的な立場を採っています。

 前提として、そもそも人がいないと国家として成り立たないのは、当然のことであるのに、人口が減少する、あるいは高齢化が加速すると予想されているのに、明るい未来を想像するのに無理があると思います。現実を無視して、輝かしい未来とは行かないでしょう。

ところで、未来の予測を立てる時、GDP、国の財政状況、企業の業績と様々なデーターを集めることが一般的だと思います。出来る限り現実に即したデータが積み重ねるほど、予測が正確になり、的中確率も高まると考えますよね。

しかし、この本で筆者が未来予測に必要だと考えるものは「人口」「教育」の二つです。

アジア間の比較

「人口」

高齢化・人口減少と東アジア(中国、韓国)も並んで、衰退期に突入すると予想されています。そこで必要になってくることは、人口増計画となるわけです。但し、従属人口ではなく、社会担う生産年齢人口に焦点を当てていきたい所です。その点、一つの有効策として考えてられているのが、移民受け入れ政策です。もちろん社会統合政策も必要なので、コストも掛かりますし、治安の悪化による世論の反対も目に見えていますので、前途が多難であるのも分かりますが、肯定的な道を検討するべき状況になっています。

「教育」

教育は、未来の人材を作っていく上で、大切な国の投資です。最近だと、最高学府である大学生の学力低下など、様々な問題はあります。一言言わせて貰いますと、教育方針が定まらず二転三転している不安定な状況で、一番影響を受けるのは子供達であると忘れて欲しくないです。

しかし、教育といっても特に重要視したいのは、「語学」です。英語が、国際的な標準語としての地位を確立して久しいですが、未だに語学に関する教育レベルが低いわけです。中国や、韓国では、初等教育段階で、ある程度使いこなせるレベルまでに教育が行われているわけです。いわゆる日本では受験英語にばかり偏重して、実用的に英語を使えない状況が問題になっているわけです。ちなみに20代のぼくが、小学生くらいの頃は、英語の授業なんてありませんでした。若い頃から、日常的に親しむことが上達への近道ですよね。

さて、英語が国際レベルと比べて著しく遅れることが意味することは、国際的な競争にも負けてまいます。

           ◇                ◇                    ◇

非常に、読みやすくて綺麗に簡潔に要点が纏まっている本だと思います。もし、人口減少社会の未来について関心を持っているなら、十分に一読する価値があると思います。

 

注目語彙チェック

限界集落 65歳以上の高齢者が人口の過半数を占める状態

・ベッドタウン サラリーマンが寝るためだけに帰った街

・3C カー、クルマ、クーラー

・3K 汚い、キツい、危険

・「今日は、昨日の続き、明日は今日の続き」

 

 

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芸術作品に「無題」と付けられることが多いのは何故だろうか?

意味もなく作品を作るとは考え難いので、込められた思いがあるはずですよね。

芸術とは表現の一種であるわけですから、内から外に対して、強く伝えたい衝動に駆られて、生まれたものと考えています。

つきましては、タイトルがないとはビックリで、その理由が気になります。

う~ん、敢えてタイトルを付けない表現方法もあるのかもしれませんが、端から観てると全然分からない作品もあるんですよね。せめて、包括的な大枠となるタイトルさえあれば、想像の範囲もある程度確定出来るので助かります。さすがに無題はズルいですよ。ぼくの持論だと、タイトルが一番厄介な敵と考えていてタイトルが作品を決定すると言っても過言じゃない気がします。だからタイトルが一番大事なんですよ!!

 はあ、芸術家は、冷たいというか徹底的に妥協せず迎合せず、融通が利かない頑固者が多いんですかね。

というわけで、これからぼくも無題なブログを量産していくことをここに宣言します。

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DIC川村記念美術館は入館前から驚愕!?

久しぶりの美術館です。

なんと今回訪れた場所は、「DIC川村記念美術館」です。車じゃないとアクセスが不便な場所にありますが、人里離れたこの感じが溜まりません。


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↑↑(正面入り口付近です)


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入場料は学割使って800円なり。美術館にしては、少し高いと思いました。
でも、美術館と一緒に広い華々しい散策路も回れるので、ちょっくら行って来ました。


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木々が密集している道を歩き、途中で透明な水が流れる小川を発見、ガラス張りのテラス席とテニスコートもありました。


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          ◇           ◇           ◇

さて肝心の美術館の方ですが……

なんと入り口付近には、何やら怪しいオブジェが……。気になってしまい、足を止めました。これは見逃すわけにはいくまいと、直感が働きました。
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これは、一体何だろう……。

果たして作品と言っていいものか?!

何かぼくでも作れそうながらくたを寄せ集めただけに見えます。発想力が豊かな奇想天外な迫力満天の作品です。調べてみたところ

アメリカの彫刻家のフランクステラの「リュネヴィル」という野外彫刻らしいのですが、う~ん……ちょっとぼくの頭では理解出来ないけど、ダイナミックでスッキリする作品で癒されます。


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この廃棄物の寄せ集めみたいなオブジェも、芸術作品からはじまり、館内ではポップアートが沢山展示されています。

ぼくのお気に入りの作品は、エンツォ・クッキー「(無題)黄色い壁」です。しかし、芸術作品にタイトルを付けるのが当然なはずですが、無題(untitled)が多いと気づきました。

無題の作品ばかり溢れていて、じゃあタイトルなんていらないんじゃないか?!と考えました。相応しいタイトルが見つからないからですかね……。どうして無題というタイトルの作品が多いか凄く気になります。

 まとめ

日常の喧騒から逃れて、美術館に出掛けました。ぼくにとってのんびりと、芸術の世界に足を踏み入れる時間はなくてはならないものです。何も考えず、あるがままの自然のリズムに身を委ねながら、作品を眺め、想像の世界を心置きなく堪能しています。贅沢な趣味ですが、精神の平静を保つ上で大切な習慣なのです。

もしも、趣味がなくて怠惰な生活を送っているならば、美術館も意外と新しい発見があって楽しいですよ。有名な場所でなくても、行ってみると素敵な出会いがあるかもしれませんね。ぜひ一度、足を運んでみることをオススメします!!

ドキュメント72時間「オン・ザ・ロード 国道16号の幸福論」から過去から現在そして未来へ

「Route 16号」

ドキュメント再放送72時間のセレクションです。

今回のテーマは、国道16号です。

国道16号は、ぼくの住む千葉県を含み神奈川、東京、埼玉、千葉と呼ばれるいわゆる郊外の県を跨ぐ長い国道です。関東で最も長い環状道路です。

 おそらくテーマから判断すると、国道16号沿いを走り、幸福を発見していく企画だそうです。

「幸せですか?の問い」

「幸せですか?」と聞かれて、「はい、ちょーー幸せです」と答えられる人が羨ましく感じました。ぼくらは、はっきり、大声で幸せですと答えられないことが多いと思います。どうしてなんでしょうね・・・・・・。幸せと呼べない何かがあるのか、気になります。

番組の中で結局「生きてるだけで、幸せです」と総合的な見方をしていて、その通りだなと納得しました。

幸せは自分の心が決めるんです!ぼくは今、最高に幸せです・・・・・・

今も呼吸をして生きていて、こうしてブログを書いているわけですからね。

                ◇        ◇                         ◇

「過去」

ぼくは、高校の通学路で3年の間国道16号を通って来ました。

あれから、随分と時間は経っていますが、汗だくになりながら、がむしゃらに走ってきた懐かしく思い出の道です。毎朝自宅から30分以上の距離を走ったおかげで、筋力は衰えませんでした。途中で坂を二つ越えて、山道を抜け、国道を走る通学路は、ハードなトライアスロンをしている気分でした。

 振り返るとあの頃は、とにかく受験勉強のことで頭が一杯でした。ちょっとガリ勉近くなっていましたが、愚直にしがみつていました。恋愛、部活、友人など青春のページを彩る出来事が、沢山ある人が多いと思います。ぼくが、あの当時考えていた事は、もっともっと自分の限界に挑戦したいから東京の大学に進学することでした。このまま、適当に卒業して何となく生きていきたくないと当時から、ずっと考えています。

過去の出来事は既に終わったのかもしれないですが、パッションは尽きていません。

「現在」

 大学生になると車の免許を取得しました。今までは自転車で通って来た道を、車に乗って通過します。ぼくの高校の制服を着た学生を見ると、ファイト!と応援する自分もいます。

今では、狭い道から大きな車道に活動の舞台を移しました。高校生の頃は、ゴールがない道をひたすら進む、一方通行の退屈で刺激のない日々でした。おまけにそれが、永遠続いてる気がして絶望的になり、出口のない迷路のように感じていました・・・・・・。

それが、今では、まず実感したことは、少しだけ選択の余地が拡がった気がしました。

若い頃は、薄っぺらい知識と狭い視野で世界を理解した気になりがちですよね。だからこそ、多くの人々が行き来する都会の街は最高の教科書となりました。大人の世界に身を寄せることで、感覚的なものです。

そして、計画した目標まであと一歩の所まで来た気がします。最期の駄目押しが欲しい、だけど中々手がかり掴めないという状況です。

 「未来」

正直未来のことは、分かりません。怖さもありますが、期待もあります。それが一番的確な気持ちを表現する言葉だと思います。そうすると、あくまで予想になりますが、国道16号を頻繁に通ることがなくなるでしょう。

高校時代に、自転車で

大学時代に、車で

通って来た道は、ずっとずっとずっとぼくの中に残っています。

舞台は、国道16号から外れていると思います。次の道がどうなっているのか、断定出来ませんが、違う道を自分なりのペースで必死に走っていると信じています。

 

人の役に立たないと生きてる意味がない

こんばんは、昨日の続きです。ちょっと深い哲学的なテーマになってしまいます。

いきなり問いを立てます。

ずばり、「誰にも役立ってないのに、生きている意味ってあるんでしょうか?」

人間は社会的な動物なわけで、集団の中で適度な距離を保ちつつ生きていくわけですよね。すると当然、他者を思いやる心が必要なわけです。

別に大したことをしなくても良いですが、終局的に誰かに役立つことが生きる意味に繋がっていくと考えています。

家族、友人、恋人と誰でもいいわけですが、人の役に立つって素晴らしい事ですよね。 もしもアナタがずっと、ずっと不幸な境遇でいるならば、開き直ってせめて周りが幸せになるように祈り、行動して下さい。この際、不幸を全て引き受けちゃいましょう。相当の余裕がないと出来ないことではあります。

「自分を犠牲にしても周りを幸せに出来る人って、周りから厚く信頼され、愛され、社会に必要な存在になります」

 でも人間関係は、トラブルが付き物ですし、いきなり巻き込まれることもありますよね。ハッキリ言ってこんな面倒くさいことはない・・・・・・。出来れば距離を取り、無関心を貫いて、極力関わりたくないと思ってしまいがちです。

ただ一方で、一番輝いてる瞬間を想像してみると、人と人との間からハッピーが生まれることが多いと思いませんか。だからこそ、ぼくらは最大多数のGNHを最大化しないといけないのです。自分以外の誰かの役立つことを忘れないように生活しましょう!