Small dreams≧Real life

ルポライターを目指し日々奮闘中。日常の些細な事も含めて、オリジナル記事や創作したストーリーを載せています。

「自由に書いていい」と書けない病

「決められたテーマ」

まだ小学生や、中学生の頃を振り返ると、作文の時や絵を描く時には決まってテーマが設定されていました。「将来の夢」や「運動会」などが典型例ですが、与えられたテーマだと考える過程が大幅に縮小されますね。あとは、上手く文章に纏めて、文字を紡いでいけば完了の受動的な作業です。それでも当時は、文章力もなくて論理的思考とはかけ離れた稚拙な文章を書いていた記憶があります。だからテーマ設定について考える余裕もなかったんです。

「自由にテーマを決める」

段々大人になるにつれて、周りの誰かがテーマを設定してくれる局面がなくなっていきます。最終的には自分自身でテーマを決めないといけないのです。

どんな内容をテーマにしてブログを書くか、何を対象として絵を描くか、被写体を決めてどんな写真を撮るかそしてどんな人生のテーマを持つかは全て自分の力量に委ねられます。

しかしぼくらは自由にテーマを決めていい場面を与えれてきた記憶がありません。それなのにいきなり、テーマを決めろと言われても厳しいはずです。部活動で練習もせずに、いきなり大会に出て成績を残せと言われているのに等しいです。

学校教育に馴染まないテーマ設定

最近では、個性の尊重に重きを置くように教育方針がシフトされている部分は評価出来ます。ただ担任一人が、40人近くの生徒に対して逐一親身に世話をする状況を鑑みると過度な期待を抱くのが正しいとは思えないのです。ある程度事務的に成らざるを得ません。物理的にも限界があって、分け隔てなく接するためには画一的な対応になりがちです。こうして教室は均質的で、没個性な空間の代表例となっていくのでしょう。

 平均的な教室で、成長過程を過ごす若者達は答えが与えられていると勘違いし、探す努力を笑い楽な方に逃げ込みます。いつしか自分自身で考える力を失い、当然テーマ設定が出来なくなるのです。普通に考えて、自由に書いていいと言われればスラスラと筆が走ると思います。得意な分野、興味がある分野などを選択し、勢いよく書き上げてしまうはずです。しかし現にそのようになっていません。そもそもテーマ設定が上手くいかないのです。逆に光る個性を持つ一部の人は、テーマ設定が得意で発想が群を抜いていますが、平均から外れしまいいじめのターゲットになりったり、煙たがられてしまいます。

人生のテーマも見えなくなる

予定調和に全て上手いくとは限りませんが、それでも方向性は決められます。しかし日頃から考えてテーマを決めるという一連の流れを積み重ねていなければ、さらにマクロな視点を掴めないでしょう。つまり本当はもっと自分の頭を大切に使っていいのに、使わない。そのうち錆びて麻痺して、思考の幅が矮小化してしまいます。ぼくたちは、自分自信の第六感(インスピレーション)を信じ、感性の赴くままに一歩生み出すべきです。「自由に書いていい」と書けない病の治療法は、まず自分自身に向き合うことからはじめましょう。


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