Small dreams≧Real life

ルポライターを目指し日々奮闘中。日常の些細な事も含めて、オリジナル記事や創作したストーリーを載せています。

大学受験が昔より簡単になったというけど、それはいいことじゃないの

「現在の大学受験の声」

若者の一大イベントである大学受験ですが、何かと問題点が指摘されています。

少子化が進行しているのに、大学の数が多い」

「高等教育に相応しくないボーダーフリーの質の悪い学生」

「入試形態の多様化により、大学レベルの低下」 

ゆとり教育の弊害で、基礎学力がない学生」

と槍玉に上がり、様々な議論が錯綜する大学改革に関する問題は、終着点が見えていません。しかし、こうしたあやふやな議論で混乱する状況から影響を受けるのは、若者達なわけです。ゆとり教育なんて典型的で、教育側の失敗ですよね。最終的には責任を自分自身に転嫁されてしまうわけですから、コアから外れないように一貫としたシステムにして欲しいです。

 それにいつの時代であっても、大卒の資格を持つ高度人材は必要不可欠であり、将来の社会を担う確率も高く、芽を潰さないバランス感覚が大切です。高等教育は、国の未来の投資としてもっとお金を掛けてもいいんじゃないんですかね。

 

おまけに、学生が都内の大学に集中している現状を鑑みて、地方の衰退化に歯止めをかけるために、国が定員数の上限を設ける方向に動き出しました。

 

文科省の「入学定員抑制」要請、東京23区の私大は応じず 入学定員はさらに増加 (ZUU online) - Yahoo!ニュース

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 さて、とは言うものの大学進学が当然の社会で、大卒資格の価値も相対的に低下しています。つまり大卒であるだけでなく、個人の地頭の良さ、資質が問われているわけです。それに関連して頻繁に聞くコメントに、以下のものがあります。

「昔の方が大学受験が難しかったし、競争が熾烈だった。それに比べて今の大卒は、昔の高卒レベル以下」

こんな言葉が、流布しているわけです。確かにそれが正論でしょうが、両方とも経験していない人が言っているのに疑問を感じています。この点については、甚だ疑問があります。主に二点挙げたいです。

① 時代が違えば、社会も違います。つまり同じ環境であれば、同じことをしていましたか?ということです。簡単に言えば、やることがなかった、選択の範囲が狭かったことが原因で勉強していたんじゃないですか?スマートフォンや娯楽が一般的な社会で生きていた場合、誘惑に負けず勉強していましたかということです。

 「それに仮に、頭が良くて優秀な人が沢山存在する世代だとしても、今の日本社会を見ると完全に失敗してますよね。人口減少、教育水準の低下、終身雇用の廃止、財政赤字と次々に問題が噴出しています。まさかこの積み上げられた、山のような問題の責任を転嫁するんでしょうか。」

是非とも、この辺りのことは考えて欲しいですね。

②二点目は、「大学に簡単に入学出来るならそれはそれでいいんじゃないですかね」日本の大学の場合、入学試験のレベルが高くて、入学後は誰でも卒業出来ると言われています。これで卒業要件が厳しいとなれば、海外の有名大学と並ぶんじゃないんですか?要は入学試験がゴールじゃないわけで、その後はさらに厳しく勉強するべきと言うことですよね。ただの今のシステムだと、とにかく入学すれば良いという方向に流れていて、いわゆる燃え尽き症候群の学生も一定数いそうですね。

 ただここで、前提となっているのは大学進学は義務じゃなくで自分の意思で来てる訳ですよね。だから簡単に入学できて、卒業できるという状況に置かれた時に、疑問を持たず勉強しない学生に対しては、その意味を個人に背負わせるのもいいと思いますね。というか現状は、二極化が激しいわけですよね。

纏めると、昔がどうとかあまり関係ない気がします。世代の中の相対評価であって、表面的なコメントはあまり好きじゃありません。だって、学力が低いとしても、それを早期に改善する政策を社会が採るべきだったでしょ・・・・・・