Small dreams≧Real life

ルポライターを目指し日々奮闘中。日常の些細な事も含めて、オリジナル記事や創作したストーリーを載せています。

カッコイイ大人になるために

青過ぎる思い出

若いときは、少しやんちゃで遊んでます的な人が人気だと思います。

学生という身分は呑気なもので、気分やらその場のノリでトンデモナイ状況になっちゃうわけです。

「飲みいかね?」と一人が提案すれば、誰も断ることなく飲み会の流れと変わるわけです。

正直で楽観的で羨ましい気もしますが、ちょっとバリバリの企業戦士たるサラリーマンのような「事務的な顔」の人から見れば理解出来ない迷惑な存在でしかないわけです。

ぼくも髪を派手に染め、気取った顔で街を歩いていたあの頃が懐かしいです。

と言っても、まだ20代そこそこなので、恥じるほどでもないのでしょうが・・・・・・。

だいぶ大人になりました。

でも、これでいいのか?と心の中から声が聞こえてきます。

本当はもっと、自分らしく、自由に縛りなく走り続けたい。

でも「自由」には、責任が常に内在していて、力のある人が「自由」を存分に活かすことが出来ます。(この辺は「自由」をテーマにブログを書くことがあるので、その時でも)

何はともあれ、今日より明日、明日より明後日とぼくは常に成長し続けたい!

カッコイイ大人

カッコイイ大人を知っていますか?

滅多にいない絶滅危惧種で、こんなに人が沢山いる世界なのにほとんどいません・・・・・・。

単にお金を稼いでるとか、外見が良いとかそんなレベルじゃなくて、もっと人間的に洗練されていて、「光」輝くものを胸に持ってる人がいます。

ただカッコイイ大人が、お金や端正な外見を持っていることも偶然ではない気がします。

ぼくは、カッコイイ大人になりたいんです。

その点、尊敬している人がいます。

まず一人目は、少林寺拳法を習っていた頃の先生です。

武道と聞けば、必ずと言っていいほど「強さ」にこだわる人が多い気がします。

相手を攻撃して倒せばそれで満足ですか?

それは、主体的に相手を攻撃して、倒すわけで、必ず絶え間ない悲しみの連鎖を生み、恨みや最悪の場合復讐されて命を落としてしまうわけです。

そこで、「本当の強さとは何か?」と考えた時に、もちろん肉体的な強さも当然ですが、精神的な強さも忘れてはいけないと学びました。

精神的に成熟してこそ、武力の「強さ」が意味をなすわけです。

あの頃、幼いぼくに向かって先生はよく、言いました。

「いいか、本当に強い人は自分から絶対に手を出さない。挑発されて喧嘩を売られても、相手を殴り倒す必要はないわけで、自分の身とお前の大切な人(家族、友人、将来の奥さん、子供)を守ることが出来たら、それだけでいい。それだけで立派じゃないか」

ぼくは、この言葉を聞いた時、まだ小学生でした。

まだまだ、成長過程のぼくは、学校の教室で肉体的な強さを友達と競い合い、優劣を争っていた頃で、母親が心配してぼくを道場に連れて行きました。

しかし、そんな難しいことを考える頭もない小学生のぼくは、シャイで活発なサッカー少年となり少林寺拳法の日になると憂鬱になっていました。

今考えると、ぼくが少林寺拳法と出会ったのは奇跡であり、幸運だと胸を張って言えます。

あの頃に、学んだ人間的に正しい考え方と合理的で無駄がない技術と、包み込むような愛情に溢れた真っ白いアゴヒゲ自慢の先生がいたおかげで今のぼくがいます。

頭を叩かれたり、正座したりとイタズラ問題児ではあったけど、肝心な時に見捨てず相談に乗り、息子のように懸命に指導してくれました。

(こういう大人がだんだんと少なくなってきていますね。)

ぼくは、これからもあの頃の「思い出」を胸に、もっともっとも~~~っと成長したい。

そして、いつかぼくもステキな大人になって、恩返しがしたい。

そんな心境になりつつあります。

しかし、現実では自分のことで精一杯で、あちらこちらブレまくりで日々出口のない毎日を過ごしています。

この場を借りて、「ありがとう」と心から感謝を述べて終わりにします。

「愛情溢れる指導と人生の羅針盤をありがとうございます。ぼくは、羅針盤を頼りに見えない道をひたすら元気に頑張っています。明るさだけが自分のモットーなのかもしれません……」


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